相手の話を受け止める
人に話すと悩みは少しは楽になるそうです。
しかし「愚痴を聞く」というのは たとえ それが仕事のカウンセラーでも、学校の先生でも、 大変な作業だと思います。
そんなことを考えながら書いてみました。
今日は知り合いから かなり真剣かつ深刻な悩み相談を受けました。
力になれたかどうかわかりませんが、誰かに話して楽になれるのなら、自分どんどん利用してくださいという感じで15分ほど聞いてきました。
・・・乞われるままに率直な感想を伝えると、「若いスバルちゃんからそんな言葉が出るとは思わなかったぁ。成長したねぇ」と言われました。
自分はいつもバイトとはいえ、真剣に働きます(/・・)
話はそれましたが、そんな感じで「話を聞くという行為」につき、自分が最近思うことをつらつらと書いてみます。
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相手の話を「受け取る」というのと、自分のことのように「受け止める」というのは全く違うことだと思います。
「受け止める」というのは、相手が話している事象に自分もまるで当事者のように感情移入して、心配したり、意見を言ったり、悩んだりすることだと定義しています。
自分は結構相手の話を受け止めてしまっていたような気がします。受け止めると結構精神的にもきつくなってくることがあります。
例: A「○○で疲れたよ〜」
B「そうなんだ。大変だね・・・。お風呂に入ってリラックスできるかなぁ?/疲れを少なくできるいい方法ないかねぇ/○○って、本当にきついんだねぇ」
A「でしょ!わかってくれる!?」
B「うん、わかるよ!」
「受け取る」というのは、相手の話をそのまま、「ふ〜ん、そうなんだ」とありのまま認めて受け取るということだと定義しています。
例: A:「○○で疲れたよ〜」
B:「そっか、疲れてるんだ」
A:「そうなんだよ!」
B:「それで?」
A:「・・・(しばらく考えて)だから少し休もうと思うんだ」
A:「そうなんだ。体を大切にしてるんだね」
このとき聞き手はあくまで第3者で、話の当事者は相談している人自身にほかなりません。
また、決して「相手がそう思っているという その事実」を否定しません。
そうやっているうちに、話を聞いていて自然と出てきた相槌や何気ない一言が、悩みの解決の糸口を与えることも ないとは言えません。自己解決して、前へ一歩進むかもしれません。
泥沼状態で膠着していた難問も氷解するような方向に動き出す・・・かもしれません。
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なにはともあれ、相談を持ちかけてきた相手が「受け止めて」欲しいのか、「受け取って」欲しい(ただ聴いて欲しい)のか、まだまだ見極めることができない未熟な自分です。