2008-08-03 幸せ論 コトノハ・コトダマ 「のどが渇いた」という現象がなければ「のどの渇きが潤せた 嬉しい」という現象が存在しない 「おいしい」という幸せを味わうためには、どうやら「空腹だ」という不幸を味わわなければいけないようになっているらしい。 それは卵の黄身と白身のようなもので、混ぜてしまうと一体となって分けることはできない。 私がイライラしなかったら「イライラさせる人」は生まれない 幸せはその人にのみ帰属するものであり、幸せが見つからないと言っている人は幸せを感じる心を動かしていないだけかもしれない